ベンチュラーウォーカー
昭和探偵団 52 ブルートレイン あかつき4号 寝台車2024年4月3日
新幹線や飛行機が充実した国内では 移動の手段だけでは
寝台列車はもう意味がない
しかも 高かった
乗車券+特急券+寝台券
同じ路線なら新幹線より高かった
寝て乗るので 1両を人数割すればどうしても割高になるのは
仕方がない
仕方がないのはわかるけど 利用者にとっては乗る意味がないので
だれも乗らなくなる
そうすれば 廃止になる
今では定期運航している寝台列車は サンライズだけとなりました
小学校 中学校 高校 大学時代 父親の仕事の関係で よく長崎にいきました
小学生の時に 「お父さんは まだ仕事だから お前は一人で
長崎から家まで帰れ ママに芦屋駅まで迎えに行かすから」 で
一人で あかつき4号に乗って帰らされました
一人で乗ることには不安はなく ただ 三宮で寝過ごさないようにしないとだめだ!と
覚悟を決めて乗りました
(こんな感じでした)
一つの部屋に4つのベットがあり 僕は上段のベットで
はしごで上り 秘密基地のようで楽しかった
各駅停車の電車のように 加速が求められる在来線は
動力車が編成のなかに何台か存在しますが
あかつきの場合 先頭車両のみが動力車なので
ゆっくり 静かに発進するので別の乗り物のように感じました
モーターの音がしないので 走行中もとても静かなので 快適でした
サラリーマン風のおじさん達に 「こんにちは」
「え? ぼくは一人?」 「そうです」
で 色々話をして
「あのーー 僕三宮でおりるんだけど 起きてる?」
「大阪で降りるけど起きてるよ」
「ジュースあげるので 起こしてください」
「え?いいよ 」
「いや あげる」
「ほなもらっとくわ ありがとう 起こしたるわ」
を お願いした事を鮮明に覚えています
でも あんまり寝れなくて 早朝姫路を超えたあたりから
ゆっくり静かに はしごを降りて 通路の補助いすを出して
景色を見ていました
明石あたりで おじさんは
「あれ もう起きてるやん」
神戸駅を過ぎたあたりか? 今では移転していますが
大きな建物の ながさわ文具店があって
車窓から見えていたので
「ながさわ文具って知ってる? ほらあれ」
「ぼくの家なの?」
「おかあさんの 友達の会社やねん」
と よくわからん会話もしました
なぜか 覚えてる
三宮に到着して
「ありがとう さようなら」
で おじさん達とは別れました
快速に乗り換えて
芦屋でおりて
迎えに来てた おかんは
「大丈夫やったか?」
「大丈夫や」
40年以上前は立派な交通手段として重宝されていた 寝台特急
今は交通手段ではなく 乗ること自体に価値を生み出す努力を
されている鉄道会社
車の免許を取ってからは 車に乗る方が楽しくて
列車旅を考えた事がありませんでしたが
わざわざ列車に乗って旅をしてみようと最近考えています
年を取って運転するのも疲れ始めてきたからでしょうか