シフトがPレンジに入っているんだけど キーが抜けないんだ
直して のご依頼
赤丸のスイッチが壊れている
もちろんこの部品だけでは パーツの供給は無い
シフトASSYなら30万円かな? 恐い(笑)
じゃあこのスイッチを改造して装着しよう
直りましたよ! (黒田)
「AMG SL73売ったんだ。
それで A45買ったんだけど
また ホイールを汚さないマーヴェラスに交換してよ」
のご依頼。
「すみません お車が新しすぎて ラインナップにありません。
でも お時間いただければ お車から いま装着されているブレーキパッドを取外し
メーカーで特注すれば 可能ですが 5日ほどかかります。」
「いいよ お願いするよ ホイールが汚れすぎて我慢が出来ないんだ」
お2階で ブレーキパッドを前後取り外し 特注依頼で発送いたしました。
A45さん はここで休んでもらっています。
かっこいいな!
内装もかなりかっこいい!
エンジンは2LターボのAMGチューンでなんと360馬力! めっちゃ速いでしょうね
SL73はよく修理させていただきましたが 当分このお車では修理でヴェンチュラーに入庫
することは無いですね。 チューンするところもありません(笑)
2号線にあったクリスボンの思い出にひたり 夙川の西側を北上していきます。
5年前ほどに工事がされていた 場所
左の段々の水路は魚が上流に戻る事が出来るように作り直したようです。
回遊魚の生活補助や大雨で下流まで流されてしまった種が元の場所に戻る事が出来るように
手助けする水路なのでしょう。
これが無ければ 川にすむ生き物の生活圏を人工的に狭める事となり
川の生態系を崩す事になりかねない
洪水から生活を守るために川は改良してきましたが
安全である上に このように自然を取り戻していく魚道の整備を
どんどん 行い 夙川や芦屋川を安全で自然も共存する昔の川に少しずつ戻して行ってほしいですね。
夙川も 芦屋川もまだ魚道の整備が出来ていない場所がたくさんあります。
河川管理関係の行政に携わる方 頑張ってください!
JRまで来ました お地蔵さんがある。 ここは 突き当たりか?
日切り地蔵と書いてある
お地蔵さんの西側には 夙川不動明王がある。
一つだけお願いを聞いてくれるそうです
僕なら どうしよう?
もったいなくて 死ぬまでお願いしないだろう。
死ぬ間際に「ちょっとやり残した事があるので これを済ませてから あの世に送ってください」
とお願いするだろうな。
夙川の西側はJRで突き当りと思っていたのですが 階段がある
夙川に下りることが出来るんだ!
大袈裟だけど 生まれて初めて夙川からJRをくぐりました
夙川は静かで 散歩には最適
夙川公民館までやってきました
ここは 会議室や小さなホールもあり リサイタルや落語や音楽会など様々な行事に
利用できる便利な公共施設
その公民館と夙川の東側を結ぶ橋
かたほこ橋
そして 夙川公民館がある場所には 片鉾池がある
この池には歴史があるようです
1907年 この場所で超巨大な香露園遊園地があったようで
動物園や音楽堂など様々な施設がある関西最大の遊園地だったそうです。
写真はウオーターシュートという名の当時の絶叫マシン
この池が今の夙川公民館の場所になる片鉾池なんだそうです。
この近くには香露園という名の地名は現在無く 阪神の駅だけが香露園と名乗る
大昔の香露園遊園地は阪神電鉄が関与していたので香露園の名称を使用するのは
阪神電鉄の特権だったらしいです。
阪急夙川駅まで歩いてきました
夙川駅は小さくても立派な駅!
それは 小さな全長2.2キロの甲陽線とつながっているから ♪
関西で最も小さなターミナル駅! ターミナル駅と呼んでいいのかな?
ゆっくり走る甲陽線の電車はまるで 遊園地の電車に乗っているようです。
昔 幼稚園の遠足や小学校の遠足で甲陽線に乗って甲山に行きました。
終点の甲陽園駅に到着すれば たった2.2キロなのに すごい遠い所まで来た錯覚に陥るのです。
甲陽線は面白い ♪
昭和40年の夙川駅
僕が生まれるちょっと前
覚えていないけど 僕が生まれた頃は 大昔なんだ!と感じさせる写真です。
幼稚園を卒業したのは 最近のように思えるのに
時間が経つのが早く感じ 時間が無いので あせっている 自分が心配です
つづく・・・・・
マフラー交換してよ。 このマフラーに交換してのご指定。
買ってくるから 悪いけど装着してよ。 のご依頼。
ノーマルの左右 2本出しのマフラーを除去
浜崎 「Iさん! マフラー右からしか出ない 片側右側2本出しなんですけど? いいんですか?」
Iさん 「音が良くなりゃ 右側片側2本だしでも いいよ」
浜崎 「でも 左のマフラー用の切り込みが残ります。 なんか考えましょうよ」
「赤丸の 真ん中から出しません?」
Iさん「できるんなら やってよ まかすよ」
でスタート
赤線が Iさんが購入されたマフラーのルート
そして 黒田がステンレスのパイプを駆使して新たなレイアウトを形成
スペアタイヤとのクリアランスは約2センチ
この部分は熱対策いたします
やはりセンター出しのほうがかっこいい!
ほら! こっちの方がかっこいい!
真ん中に偶然にも 切り込みがあり グッド!
じゃあ 白丸の左右のマフラー用の切り込み はどうする?
どっちも マフラー用に造形された 切り込みを切っちゃいました
で 両方ふたします。 そしてファイバーで成形して パテでならして 塗装
そうすれば 新しいバンパーのデザインでセンターからズバットマフラーがドカンと突出!
かっこよくなりますよ! お楽しみに!
エンジンが振動する時があるんだ 今は直っているわ
まあ よく見て 直してよ のご依頼
振動で考えられる事はエンジンマウントの不良によりエンジンの振動が室内まで伝わる
でも 今は直っている?
マウントは一度壊れたら 元には戻らない
だから マウントではない
では 本来8気筒ちゃんとシリンダー内が爆発しないとだめなのですが
たまに 1気筒 点火せずに 7気筒になっていたのか?
車検時にまだまだ いけると 我慢してきたプラグはよく頑張りました
もう限界です。 振動していた原因はプラグかもしれない
あともう一つある
プラグコードも限界まで頑張った 本来 青いプラグコードですが
下の2本は電気がリークして真っ白になっていました。
よく頑張りました。限界です。
この辺の 電気系統の影響でエンジン振動が発生していたと予測されます
交換したら エンジンがめっちゃ スムーズになりました♪
お預かりしている最中は その振動が一度も発生しなかったのですが
この修理で 直っているかと思われます。
様子を見てください。(黒田)
赤ポイントまで 歩いてきました
②の建物は思い出の建物
この昭和55年の航空写真には写っていた
でも たしかもう営業はしていなかったと思います
この建物
それは レストラン クリスボン
幼稚園の頃 母によく連れて行ってもらいました
いつも1階で 僕はミックスジュースを飲んだり食事をしていた。
建物の南側にはたしか噴水があって いつもそれを眺めながら
食事をしていた記憶がある。
村上春樹さんの作品である「風の歌を聴け」が昭和56年映画化されており
そのロケ地にクリスボンが使用されたと聞き
早速 購入しました。
映画の中では 芦屋テニスコート 芦屋市民プール 芦有道路登り口
西宮球場 など ヴェンチュラーの近くがたくさん見ることができ
なんだか 面白い
主人公の小林 薫さんがクリスボンに入る映像
柵がしてあり もう営業していないようです。
赤の部分の塀はまだある。
お菓子の老舗 菊屋さんの塀
つまり クリスボンは昔 旧店舗名 シーガル 現在 エルエスト スポーツクラブの場所にあったのです。
こんな感じ(笑)
映画のワンシーン
最近は亡くなった母にどこに連れて行ってもらったっけ?
と 思い出しては 調べてみたり 行ってみたりしています。
つづく・・・・・・・
ホイールボルトが2本折れた 直して
その時ホイールが脱落しかけで えらい事になったんだ
たのむわ のご依頼
ブレーキローター キャリパー ハブ 取外しました
1本は折れたナットがかみこんでいたので 取外して修正でOK
もう1個の穴は ネジがギタギタでだめだ
ネジを切りなおしたら復活したけど 頼りない
裏にナットも溶接しよう
その上 ハブ面がわずかに歪んでいる
ホイールが外れかけた時にかなりの力が働き わずかに歪んでいる
ダイヤルゲージを使い 面を平面に研磨
これでばっちり水平がでました
ネジがだめになった 裏側にボルトを溶接
これで安心
ベントレーのハブはかなり高価でしょう。
目が飛び出るかも(笑)
香露園駅を抜けて夙川を北上中
この公園は娘が小さい時何度か遊んだ事があります
始めていっしょにブランコに乗った公園です。
鳴尾御影線の西側の終点
鳴尾御影線なのに 鳴尾と御影はつながっていない。
ここが西側の終点
写真に写っているここだけ 大昔から広かったのです。
芦屋の打出や宮塚町付近も全然道が広くなく 森具付近は もちろんつながっていない
高校時代 自転車でこの道をなぜか よく通ったのですが
じぐざくの狭い道を抜けると ここだけ広かったのです。
いつか 阪神芦屋の前の道がここにつながるのだろうと思っていたら
約10年前に 阪神御影付近から始まる鳴尾御影線がやっと ここまでつながりました。
同じく約10年前 西宮側の鳴尾御影線も阪神電鉄高架により全線つながりました。
あとは 夙川を越えれば 鳴尾御影線の完成?
赤丸が西側の終点 黄丸が東側の終点
そして 白線のように いつの日かつながるのでしょう
しかし まだまだ先でしょうね いっぱいお住まいの方がいらっしゃる。
国道2号線までやってきました
夙川橋
この写真は芦屋の家を掃除していて見つかった航空写真
時は昭和55年(1980年)
今回の散歩は緑のラインを歩いてきて只今赤丸までやってきました
①は打出の幽霊マンション 建築中になんらかのトラブルが発生してコンクリのまま
何年も放置されていました。
結構関西では有名スポットでした。
そして ②は有名な!
なつかしい! ここは 幼稚園時代
母にいつも連れて行ってもらっていた 思い出のスポットだ!
写真に写っている! うれしい。
ここは・・・・・・・
只今ここの資料を集めています
ここも 村上春樹さんの小説に登場する
つづく・・・・・・・・
ヤフーの出品料が無料になりました。
もともとは何もかも無料で始まったヤフーオークション
ただ 野放しにしていれば 詐欺も多く ヤフーオークションのシステム自体を
訴えられる事も出てきたこともあり クレジットカード管理に移り本人確認ができないと
IDがもてないようになりました。
やはり その管理にかかる経費などで 出品料金と成約手数料が出品者から徴収する
事となりました。
しかし 出品料金は再び無料になる。
ヤフーの狙いは 出品業者が簡単に参入できるようになり もっと多くの商品が出品され
もっとにぎやかな商店街を構築して 商店街の看板広告代金の徴収に力を入れる
お客は来るわ 広告代金ももっと多く徴収でき 結果的に繁栄するとの算段なのでしょう。
昔のヤフオクの自動車車体コーナーには もっともっと多くの車が出品されていました
しかし 今は車の出品代金は他の商品とは違い高い たしか2940円
だから 例えば 昔はただ古い車で値打ちが無い車もたくさん出品されていましたが
今は そんな車が出品されていなかった。
だから 無料になった これからは こんな 捨てるような車でも出品されるでしょう。
でも それが メチャクチャ大事だし 僕にとっても見るのが楽しくなりそう
僕は1980年式のAUDI 80に学生時代乗っていました。
また乗ってみたいな 今度は完全整備して乗るぞ! と思って ヤフオクを見ても
出品されていない。 僕にとって大事な車でも世間では値打ちが無い
そんな 車は出品料金の高額なヤフーには出品されなくなっていたのです
でも これからは こんなん 誰が買うの? も出品され
車両販売部門のヤフオクが面白くなりそうです
と解釈していたのですが 只今 ご一報頂き オートバイとバイクは0円だけど
車の出品量は無料じゃないようです(涙)
いろいろな車が出品されるから面白そうと思っていたのに
ショックです。
よく考えてみると 無料になるのは出品料金だけ 成約手数料は無料にならない
出品料はヤフーショッピングで考えてみると
契約により違いますが たぶん だいたい 下記の計算ぐらいかな?
ヤフオクではなくヤフーショッピングで考えると
ヤフーショッピング出店料金(業者) 20000円 出店業者数 20000店
出店料金合計 4億円(無料になる)
ヤフーショッピング取り扱い高 約3000億
3000億×手数料4.5パーセント=135億円 (今回は無料にならない)
ヤフオクは個人と業者が混在するので計算しにくいですが
ヤフオクの取り扱い高 約7000億 ×手数料 4.5パーセント=315億円(無料にならない)
※ 出品手数料や成約手数料金はプランによって異なりますがだいたい 上記ぐらいでしょうか?
出品料金を無料にするのはヤフーの経済力を考えれば 屁でもない
取り扱い高からの成約料金の徴収で充分成り立つ
出品料金を無料にして もっともっと 出品者と出品業者を増やして
もっともっと 何でもそろうようにして もっともっと 見に来る人を増やせば
広告徴収代金が出品料金を上回るのは目に見えている
もっと 早く無料化を決断すればよかったのに
楽天は独自のサービスを強化する事で 無料化の波には乗らない姿勢
株では 一部のネット会社株は下げて 流通会社株とネット広告会社株は上昇している模様です。
家を掃除していたら 引き出しからレアな写真が出てきた
カラーだ!
昭和55年の航空写真
① 日本勧業銀行の独身寮とテニスコートとプール
②伊勢幼稚園
③太陽神戸銀行の独身寮とテニスコートと野球場
④ ホテル芦屋
⑤精道小学校
①の勧銀 子供プールに25mプールもありました ここでよく泳ぎました
②の伊勢幼稚園の右は今は芦屋美術館 ここの野原でよく遊びました
③の太陽神戸銀行のグランドはやっぱり立派だった
記憶が正しく マウンドと走塁する部分以外はすべて芝
ブルペンまで芝
こんな グラウンドなかなか無いです。
いつもおじさんが水をまいて 整備されていました。
プールもある テニスコートもある
企業が福利厚生に力を入れていた時代の施設ですね
④のホテル芦屋
⑤の精道小学校
その右上の白い筋はなんだろう?と思っていたら思い出した
三八商店街のアーケードですね。
最初ミスプリントか? と思っていて 拡大してわかりました
芦屋市伊勢町の家からぶらぶらと歩いてきて ほたるの墓に登場する回生病院を通過
そして 浜夙川橋まできました。
ここから 眺める甲山がきれい ここから見る風景も大好き
前方に葭原橋が見えます
これが葭原橋
この近くの町名は しもよしはら町 かみよしはら町と読むのですが
よしはら ではなく あしはら橋 らしいです。
この橋は村上春樹さんの 「ランゲルハンス島の午後」 に登場することで有名らしいです。
村上春樹さんは香露園小学校のご出身。 この近くが地元です。
注意 角川春樹さんではなく 村上春樹さんです(笑)
夙川沿いを上流方向に歩いていきます
翠橋
重厚感のある立派な橋ですね
その翠橋の東側に 西宮市立中央図書館があります。
全然中央ではなく かなり芦屋よりなのですが 中央図書館
たぶん 以前は西宮市役所横にあった中央図書館がこちらに移転したので
名称も中央のままなのでしょう
酒蔵通りの橋は新翠橋
僕は酔っ払って屋外で寝たことはありませんでしたが
7年前 このベンチで3時頃まで寝てしまったことがあります
起きて やばい 家に帰らなければと急いで帰りました。
次の日 携帯電話を落としていることが判明
すぐに警察に行ったら 朝の散歩されている方が拾ってくれて
届けてくれていたのです。
ほんと 西宮は平和だ!
もし繁華街で寝てしまったら財布を取られていただろう。
平和な町です。
でも それ以来 絶対外では寝ていません(笑)
川添橋
この橋もかっこいい!
夙川にかかる橋はみんな 歴史があり デザインもいい
さあ国道43号線をくぐります。
このマンションの1Fには以前 コープがありましたね。
懐かしい話しです。
国道43号線の下です
夙川橋
この道は西国街道
歴史ある道なんですね。
西国街道沿いの香露園の商店街
僕はここを勝手に香露園銀座と呼んでいます(笑)
阪神電車 香露園駅
この駅はタクシーも来ないし もちろんロータリーもない
のどかな駅です。
10年ちょっと前は高架ではなかったので 駅もまだ超レトロでした。
これが南側から見た香露園駅
北側から見た香露園駅
すごい昔の駅に見えますが 10年ちょっと前はこんな感じでした。
高架に伴い 香枦園から香露園に駅名が変更
現在では
香枦園郵便局
香枦園テニスクラブ
香露園小学校
香露園幼稚園
マンション名は駅が香枦園の時代に建てられた物は 何とか香枦園
最近は何とか香露園になって 駅にあわせてますね。
香露園は大阪府摂津市にもある
摂津市には香露園郵便局がある
だから 西宮の郵便局は香枦園のままなのでしょう。
摂津市には こうろえん小学校 はない。
だから西宮は香露園小学校なのでしょう。
摂津市には香露園町が存在する
しかし 西宮にはこうろえんが付く町名が無い
なぜ西宮のこの付近を香露園とよぶのか?
由来は明治時代に香露園のいう名の遊園地が存在していたからのようです。
実にややこしい
僕は通常 浜崎 と書きますが 本当は 濱崎 なんです。
日本は実にややこしい
つづく・・・・・・・・
芦屋警察のどの部分が残されていたのだろう?
石で出来た玄関だけなのかな?
前はどうだったんだろう?
なんだか また調べたくなり
無謀にも 芦屋警察に電話してみました
浜崎 「すみません お忙しいところすみません、大変つまらない質問なのですが いいですか?」
警察官の方 「どうぞ」
浜崎 「あのーーー 立派な玄関残されていますよね あれは石の部分の玄関だけですか?」
警察官の方 「石の部分だけでなく その上や横も残していますよ」
浜崎 「でも 綺麗ですよね」
警察官の方 「補修はしていますが 昔のままですよ」
浜崎 「ありがとう御座います」
たぶん 警察官の方 たぶん電話を切ったあと 「なんや忙しいのに なんの質問やねん!」
と怒っていたでしょうね ごめんなさい
母方の 僕の いとこ も おじさんも 親戚も みんな警察官なので
なんだか気軽に電話をかけてしまうのです(笑)
17年前 警察官のプライベートのゴルフコンペに呼ばれて 僕だけが部外者
あと全員警察官のコンペに出たこともあるんです。
みんな やさしいおじさんでした。 その時が僕の今までの最高スコア 37 41で78
朝も昼も茶店も 一滴もビールを飲まなかった だから調子が良かった?
いや 飲めなかったからかな(笑)
それ以来 ヴェンチュラーも始めたこともあり ゴルフにほとんど行かなくなり
2度と70台は出ていない
警察官の方のお話では 白部分が 昔のまま
そうなんだ もう忘れてしまった
で 昔の写真を探してみました
ほんとだ 補修はしてあるけど 昔のままだ
写真に写っている車から考えて 1975年ぐらいかな?
そういうと 昔は 石の玄関含めて 黒い水垢だらけで ものすごい古い建物を
かもし出していました。 だんだん思い出してきました。
つづく・・・・・・